2012年04月18日
もやしもん11巻
お久しぶりのブログ更新になってますが、・・・・・・・。
読んでいる人が、いると思うので更新します。
最近もやしもんの11巻が発売されている・・・・・。
それでその本が身近にあった・・・・・・・・。
なんだか、回を重ねるごとに、徐々にではあるが、面白さが減ってきているように
感じた・・・・・・。
私だけであろうか・・・・・・。
初回の巻は、うんちくが多かったので面白かったのだが、徐々に
薀蓄が、11巻からは、少しづつ省かれているみたいだ・・・・・。
なんとも、もったいない。もっと薀蓄が欲しい所だなと読んでいて思った。
読んでいる人が、いると思うので更新します。
最近もやしもんの11巻が発売されている・・・・・。
それでその本が身近にあった・・・・・・・・。
なんだか、回を重ねるごとに、徐々にではあるが、面白さが減ってきているように
感じた・・・・・・。
私だけであろうか・・・・・・。
初回の巻は、うんちくが多かったので面白かったのだが、徐々に
薀蓄が、11巻からは、少しづつ省かれているみたいだ・・・・・。
なんとも、もったいない。もっと薀蓄が欲しい所だなと読んでいて思った。
2012年02月03日
最近。爆睡眠
最近まさに病気であるな~~~とおもってるさなか・・・・。
睡眠時間が12時間になろうかとしてます。
まさしく過眠症では、なかろうか?
それとともに、イロイロな夢を見てる。なんだか。この寝る習慣がいまいち悪いような気がします・・・・。
睡眠時間が12時間になろうかとしてます。
まさしく過眠症では、なかろうか?
それとともに、イロイロな夢を見てる。なんだか。この寝る習慣がいまいち悪いような気がします・・・・。
2012年01月10日
母の夢
私の母は、7年前に他界した。
とても気丈な温かみの厚い母であった・・・・・。
その母が、最近私の夢の中に現れて、死んではいけないよ。
死ぬ気で生き抜きなさいと言われた。
私は、うつ病と戦いながら、今も生きているが、たまに、どうしようもなく。
「死んでしまいたい」と思うことがちらほら・・・。していた。
そんな時に母の夢をみたのである・・・・・。
なんだか・・・・。びっくりするとともに、生きるって辛いのであるのだ・・・。とふと思ってしまう。
今まで出来ていた事が、できなくなり、ストレスにも弱くなり・・・・。
どうしようもないと思うこともちらほら・・・・。としている。
ああ・・・・・・・。人間って儚いな・・・。とつくづく思ってしまうのですね。
とても気丈な温かみの厚い母であった・・・・・。
その母が、最近私の夢の中に現れて、死んではいけないよ。
死ぬ気で生き抜きなさいと言われた。
私は、うつ病と戦いながら、今も生きているが、たまに、どうしようもなく。
「死んでしまいたい」と思うことがちらほら・・・。していた。
そんな時に母の夢をみたのである・・・・・。
なんだか・・・・。びっくりするとともに、生きるって辛いのであるのだ・・・。とふと思ってしまう。
今まで出来ていた事が、できなくなり、ストレスにも弱くなり・・・・。
どうしようもないと思うこともちらほら・・・・。としている。
ああ・・・・・・・。人間って儚いな・・・。とつくづく思ってしまうのですね。
2011年12月30日
夢の話・・・・・・・・・・。
最近本当によく夢をみるようになってしまった。
本当に私の頭は、大丈夫なのだろうか?と思うほど
よく夢をみる・・・・・・・・・。
今年最後の夢はどういったものになるのだろうか?とおもってしまっている。
どうだろうか?正夢のようになるような素晴らしい夢が見れたら幸いなのだが・・・・・。
宝くじが100%当たる夢というのも悪くはないのでは?と思ってしまう。・・・・・・・・・・。
宜しくお願いします神様って叫んじゃいたいですね~~~~。
本当に私の頭は、大丈夫なのだろうか?と思うほど
よく夢をみる・・・・・・・・・。
今年最後の夢はどういったものになるのだろうか?とおもってしまっている。
どうだろうか?正夢のようになるような素晴らしい夢が見れたら幸いなのだが・・・・・。
宝くじが100%当たる夢というのも悪くはないのでは?と思ってしまう。・・・・・・・・・・。
宜しくお願いします神様って叫んじゃいたいですね~~~~。
2011年12月25日
いろいろな夢をみた・・・・・。
最近は、めっきり夢を見ることが多くなっている。
その夢をネタにしようとも考えてるが・・・・。
起きてから、その夢の事を取り違えて覚えていたり、夢だから
まったく、思い出せないとかもある。
枕のソバに筆記用具をおいとくしかないなって思ってしまった。
そうすれば、すべての夢のネタをブログに書き上げることができるのだけど。・・・・・・・・・・。
その夢をネタにしようとも考えてるが・・・・。
起きてから、その夢の事を取り違えて覚えていたり、夢だから
まったく、思い出せないとかもある。
枕のソバに筆記用具をおいとくしかないなって思ってしまった。
そうすれば、すべての夢のネタをブログに書き上げることができるのだけど。・・・・・・・・・・。
2011年12月19日
最近の寒さ・・・・。
最近めっきり寒くなってきた。
半そでで過ごすのがおいらの、ポリシーなのだが・・・・・・。
寒すぎてトレーナーを履いてしまっている。
こんなおいらだけど、昼間は、散歩にいそしんでいる。
いろいろな道なき道をあるいてるように、歩いている。
これで本当に心が変わっていくのだろうかと思いながら。
歩いてる・・・・・・・・・・。
半そでで過ごすのがおいらの、ポリシーなのだが・・・・・・。
寒すぎてトレーナーを履いてしまっている。
こんなおいらだけど、昼間は、散歩にいそしんでいる。
いろいろな道なき道をあるいてるように、歩いている。
これで本当に心が変わっていくのだろうかと思いながら。
歩いてる・・・・・・・・・・。
2011年12月12日
永遠の少年
こんにちは、今日も、外は天気が悪いですね。
最近病院の受診をしたら、カルテの一角に「永遠の少年」って書かれてました。
私の症状をそう書いているのだと、瞬間的に察知してしまった。
しかし、本当に私が永遠の少年なのだろうか?
とふと思ってしまった。
永遠の少年ということは、心がきれいだとか、精神年齢が低いかとかの意味合いを
もっているのだろうかと、ふと気になった。
最近病院の受診をしたら、カルテの一角に「永遠の少年」って書かれてました。
私の症状をそう書いているのだと、瞬間的に察知してしまった。
しかし、本当に私が永遠の少年なのだろうか?
とふと思ってしまった。
永遠の少年ということは、心がきれいだとか、精神年齢が低いかとかの意味合いを
もっているのだろうかと、ふと気になった。
2011年12月07日
最近めっきり・・・・・。寒い。
最近めっきり寒くなってきました。
それで、早速なのですが・・・・・・・・。
ブログを描くのが結構苦痛になってまいりました。
しかし、そこは、直して読んでいる人がいるものだと
考えてかかなければならない・・・・・・。
しかし、みんな色々なネタをもってますよね・・・・・。
感服です。
私の場合は、まったくネタをもってないような状況です。
それで、早速なのですが・・・・・・・・。
ブログを描くのが結構苦痛になってまいりました。
しかし、そこは、直して読んでいる人がいるものだと
考えてかかなければならない・・・・・・。
しかし、みんな色々なネタをもってますよね・・・・・。
感服です。
私の場合は、まったくネタをもってないような状況です。
2011年11月28日
酒造りの楽しみと悲しみ。
酒を造るのは、かなり楽しい仕事であった。・・・・・・・・。
今すぐにでも、もう一度酒造りをしたい気にかられる。
しかし、病気と闘いながらの酒造りをしなければならない。
そんなことは、無理に近いような気がする。
昔、私の近くで一緒に仕事をしてくれる人が、いたならば、
私は、病気にならずに済んだのではないかとさえ今は思う。
今すぐにでも、もう一度酒造りをしたい気にかられる。
しかし、病気と闘いながらの酒造りをしなければならない。
そんなことは、無理に近いような気がする。
昔、私の近くで一緒に仕事をしてくれる人が、いたならば、
私は、病気にならずに済んだのではないかとさえ今は思う。
2011年11月22日
最近・・・・・・・・。
最近、電車男にはまっている。
かなり、面白いドラマである。映画版もみたいのだが、いろいろネットチェックなるモノを
しているのだが、まったく映画版は、うpされていない。
なので、今度どこかで買おうかとおもっている・・・・・・・・。
かなり、面白いドラマである。映画版もみたいのだが、いろいろネットチェックなるモノを
しているのだが、まったく映画版は、うpされていない。
なので、今度どこかで買おうかとおもっている・・・・・・・・。
2011年11月17日
太陽光発電の導入。
酒造メーカーで太陽光発電を導入しなれければならなかった。
かなり、めんどうい書類とかを作らなければ、ならない。
なんでもどうにもならないが、できる限りの書類をそろえて、提出した。
しかも、毎月報告書を提出しないといけない。かなりめんどうな作業だ。。。。。
このことをしないと、また補助金がほしいと思ったときに、きっちり前回は提出していなかったでしょと
言うことで、ペナルティーとして、補助金がもらえなくなるのである。
なので、細かく報告する義務があった・・・・・・・・。
その書類を作るために、夜の2時から、4時半まで作業したしたこともあった。
その後、そのまま、会社で働いてるという事実・・・・・・・。
なんでそんなにしなければ、ならなかったのか?
かなり、めんどうい書類とかを作らなければ、ならない。
なんでもどうにもならないが、できる限りの書類をそろえて、提出した。
しかも、毎月報告書を提出しないといけない。かなりめんどうな作業だ。。。。。
このことをしないと、また補助金がほしいと思ったときに、きっちり前回は提出していなかったでしょと
言うことで、ペナルティーとして、補助金がもらえなくなるのである。
なので、細かく報告する義務があった・・・・・・・・。
その書類を作るために、夜の2時から、4時半まで作業したしたこともあった。
その後、そのまま、会社で働いてるという事実・・・・・・・。
なんでそんなにしなければ、ならなかったのか?
2011年11月16日
はじめての酒屋
酒屋で働くのははじめてである。
私と一緒に働いてくれる従業員がいた。
その従業員の娘さんは、高校のスポーツの一種目で全国大会で好成績を残している人であった。
其の人が、突然うちの娘の家庭教師をしてくれないか?と言ってくれた。
私は、本人が実際に本当にやる気がなければ、やりたくないと話した・・・・・・。
すると、本人はどうしても、その職業に就きたいようであった。
そのため、会社での勤務時間が終わった後で、その子のいる家にいった。
それで、一か月くらい教えた・・・・・・・・。
その子は、がんばりの成果あって、推薦は落とされたが、一般入試で
合格することができた。
かなり嬉しかったが、その娘のおかーさんは、最終的に私のそばから離れて行って
サポートすらしてくれなくなった。
うーーん。どうだろうか?人間って難しいですな・・・・・・。
私と一緒に働いてくれる従業員がいた。
その従業員の娘さんは、高校のスポーツの一種目で全国大会で好成績を残している人であった。
其の人が、突然うちの娘の家庭教師をしてくれないか?と言ってくれた。
私は、本人が実際に本当にやる気がなければ、やりたくないと話した・・・・・・。
すると、本人はどうしても、その職業に就きたいようであった。
そのため、会社での勤務時間が終わった後で、その子のいる家にいった。
それで、一か月くらい教えた・・・・・・・・。
その子は、がんばりの成果あって、推薦は落とされたが、一般入試で
合格することができた。
かなり嬉しかったが、その娘のおかーさんは、最終的に私のそばから離れて行って
サポートすらしてくれなくなった。
うーーん。どうだろうか?人間って難しいですな・・・・・・。
2011年11月15日
酒造り・・・・・・。
酒造りをしながら、会社のアピールをしないといけなくなってしまった。
会社から、与えられたものは、「太陽光発電」
そのことを、考えながら書類の提出をしなければならかった・・・・・・・。
某沖縄県内の建設大手と話し合いになり、導入が決まってしまった。
そのことは、私自身まったくわからないうちに、はじまっていた。
しかし、沖縄のため、さらには、会社のためと思い。
太陽光発電の申請に力を出した。
建設会社の方は、○投げをしてきた・・・・・・・。
私としては、そんなことをしては、だめだと思った。
説明を受けたが、・・・・・・。
最終的には、会社が太陽光発電の面倒を見ないといけない、そのことは、なぜか
自然に私がやることになってしまった。
はっきりいって、誰もカバーしてくれない様子であった。
会社自体は、めっきりその問題は、関係ないようなそぶりであった。
一番嫌なパターーンだ・・・・・・・。
会社から、与えられたものは、「太陽光発電」
そのことを、考えながら書類の提出をしなければならかった・・・・・・・。
某沖縄県内の建設大手と話し合いになり、導入が決まってしまった。
そのことは、私自身まったくわからないうちに、はじまっていた。
しかし、沖縄のため、さらには、会社のためと思い。
太陽光発電の申請に力を出した。
建設会社の方は、○投げをしてきた・・・・・・・。
私としては、そんなことをしては、だめだと思った。
説明を受けたが、・・・・・・。
最終的には、会社が太陽光発電の面倒を見ないといけない、そのことは、なぜか
自然に私がやることになってしまった。
はっきりいって、誰もカバーしてくれない様子であった。
会社自体は、めっきりその問題は、関係ないようなそぶりであった。
一番嫌なパターーンだ・・・・・・・。
2011年11月14日
命が尽きて・・・・・・・・。
母の命がとうとう尽きてしまった。
結婚は間に合わなかった。
しかし、私たちふたりは、結婚した・・・・・・・・・。
私の職業が酒造りになってしまうが?相方にそこ事を告げた。
「好きな仕事をしてもいいんじゃない?」と言う返事だった。
それで、私は、伝手を頼って、とうとう酒屋さんで働き始めた。
酒屋に入ってみて、一番いやだなっと思ったのが、なんだか
掃除をあまりしていないように感じた・・・・・・・・。
そこで私は、少しばかりのゴミでも拾うように心がけるとともに
同じ働いてる人たちに対して、かなり汚いよ
。もっときれいにできるのだから、きれいにして美味しい酒を
作ろうと云うような事を話した。
その間にも、私は小さなゴミを拾い集めた・・・・・・・。
そうこうするうちに、みんな少しづつであるが、ゴミ拾いをして
少しずつ綺麗になっていった・・・・・・・・。
結婚は間に合わなかった。
しかし、私たちふたりは、結婚した・・・・・・・・・。
私の職業が酒造りになってしまうが?相方にそこ事を告げた。
「好きな仕事をしてもいいんじゃない?」と言う返事だった。
それで、私は、伝手を頼って、とうとう酒屋さんで働き始めた。
酒屋に入ってみて、一番いやだなっと思ったのが、なんだか
掃除をあまりしていないように感じた・・・・・・・・。
そこで私は、少しばかりのゴミでも拾うように心がけるとともに
同じ働いてる人たちに対して、かなり汚いよ
。もっときれいにできるのだから、きれいにして美味しい酒を
作ろうと云うような事を話した。
その間にも、私は小さなゴミを拾い集めた・・・・・・・。
そうこうするうちに、みんな少しづつであるが、ゴミ拾いをして
少しずつ綺麗になっていった・・・・・・・・。
2011年11月11日
分析業務・・・・・・・・・part2
分析業務をしていたころ、母が病気になってしまった。
それで、後数カ月の命だと医者からは、告白された。
私は、その分析業務を行いながら、夜病院で母の看病を続けた。
しかし、数ヵ月後に母は天国に行ってしまった。
そのことも引き金として、私はその分析業務をおこなっている会社を辞めた。
ちなみに、その時は、遠距離恋愛をしている最中でもあったのだ・・・・・。
定職であるために、臨時職員という立場がいつでも首を切れると云う立場であった。
そのことで、私は、正社員として働き口を探していた。
その後、私の尊敬する先輩から酒造メーカーに就職できるように根回しして
貰った。
かなり嬉しいとともに、付き合っている彼女の勤務が遠い島の勤務に従事していたため、
三年ぐらい彼女が帰ってくるのを待ちわびながら仕事をするとともに、
はやく結婚しなければと思っていた。
母の命が尽きる前に・・・・・・・・・。
それで、後数カ月の命だと医者からは、告白された。
私は、その分析業務を行いながら、夜病院で母の看病を続けた。
しかし、数ヵ月後に母は天国に行ってしまった。
そのことも引き金として、私はその分析業務をおこなっている会社を辞めた。
ちなみに、その時は、遠距離恋愛をしている最中でもあったのだ・・・・・。
定職であるために、臨時職員という立場がいつでも首を切れると云う立場であった。
そのことで、私は、正社員として働き口を探していた。
その後、私の尊敬する先輩から酒造メーカーに就職できるように根回しして
貰った。
かなり嬉しいとともに、付き合っている彼女の勤務が遠い島の勤務に従事していたため、
三年ぐらい彼女が帰ってくるのを待ちわびながら仕事をするとともに、
はやく結婚しなければと思っていた。
母の命が尽きる前に・・・・・・・・・。
2011年11月09日
分析業務
沖縄に帰ってきて、早速だが分析業務についた。
その後、その会社を辞めて、ウコン関係を扱っている会社に入った。
その会社では学閥があり、なんだか。虚しさを感じて辞めていった。
その後、沖縄県の臨時職員等をこなして、一年が過ぎた。
沖縄県の臨時職員の再雇用とかはなく、新たな会社として、またしても、分析業務を行った。
そして、その分析業務の会社も正社員として、採用するようなことがなく。
つてを頼って、泡盛製造業のメーカーさんに正社員として、務める事が、できた。
その後、その会社を辞めて、ウコン関係を扱っている会社に入った。
その会社では学閥があり、なんだか。虚しさを感じて辞めていった。
その後、沖縄県の臨時職員等をこなして、一年が過ぎた。
沖縄県の臨時職員の再雇用とかはなく、新たな会社として、またしても、分析業務を行った。
そして、その分析業務の会社も正社員として、採用するようなことがなく。
つてを頼って、泡盛製造業のメーカーさんに正社員として、務める事が、できた。
2011年11月07日
帰沖後・・・・・・・・・。
沖縄に帰ってきた。それとともに仕事を探さねばならない。
私の大学時代に勉強していた。理工学系の仕事にありついた。
分析関係の仕事をした。・・・・・・・・。
しかし、なぜか空回りしてしまい。同じような人生を歩んでしまった。
あまりにも、自己中心的な感じで仕事をしていたのが、悪かった。
また、さらに会社がかわり今度は、研究分野の仕事をしていた。
そこでも、学閥での争いのような気を呈していた。
あまり、面白くない気分で会社を去るようになっていた・・・・・・・・・。
私の大学時代に勉強していた。理工学系の仕事にありついた。
分析関係の仕事をした。・・・・・・・・。
しかし、なぜか空回りしてしまい。同じような人生を歩んでしまった。
あまりにも、自己中心的な感じで仕事をしていたのが、悪かった。
また、さらに会社がかわり今度は、研究分野の仕事をしていた。
そこでも、学閥での争いのような気を呈していた。
あまり、面白くない気分で会社を去るようになっていた・・・・・・・・・。
2011年11月04日
大学卒業後
大学時代の同期は、公務員になった人もいるし、企業でがんばってる人もいる。
同期のMは、同じシステム開発でも、違う方面の開発をした。
同じく、Iは、グループ企業の下請けをおこなっていたのであるが、あまりにも多忙で
嫌気をさして、私より、2年近く頑張ってその後辞めた。
私の場合は、卒業後、システムエンジニア(SE)になるべくして中小企業の
エンジニアになった。
エンジニアになって遠くて近い。東京で開発しているシステムである、
金融系の勘定系システム開発で働いていた。オンライン処理とバッチ処理にそれぞれ分かれていたが、
私は、バッチ処理システムに配属された。その仕事は、人間関係が大切であるのだけど、
まったく、人間関係をうまくこなす事ができなかった。
新人でかなりいじめられたと思う。しかし、そういうのは、私が辞める事になって
いじめてしまって悪いねって様な話があった。
しかし、その後は、ある程度自分の仕事をしてようやく沖縄に帰ることにした。
地元では、職にありつけるのは、少しばかりの期待しかなかった。
同期のMは、同じシステム開発でも、違う方面の開発をした。
同じく、Iは、グループ企業の下請けをおこなっていたのであるが、あまりにも多忙で
嫌気をさして、私より、2年近く頑張ってその後辞めた。
私の場合は、卒業後、システムエンジニア(SE)になるべくして中小企業の
エンジニアになった。
エンジニアになって遠くて近い。東京で開発しているシステムである、
金融系の勘定系システム開発で働いていた。オンライン処理とバッチ処理にそれぞれ分かれていたが、
私は、バッチ処理システムに配属された。その仕事は、人間関係が大切であるのだけど、
まったく、人間関係をうまくこなす事ができなかった。
新人でかなりいじめられたと思う。しかし、そういうのは、私が辞める事になって
いじめてしまって悪いねって様な話があった。
しかし、その後は、ある程度自分の仕事をしてようやく沖縄に帰ることにした。
地元では、職にありつけるのは、少しばかりの期待しかなかった。
2011年11月02日
大学
大学の時は、激しく、大学生活を堪能するとともに、同じ学科の中で勝負しなければいけなかった。
私の家は、裕福と言えず、大学に受かった後も、授業料免除の申請をしなければなかった。
授業の点数がそのまま私が通う大学での点数になるのだ・・・・・・・・。
授業料の免除申請は、勉強のかいあってか?そのまま4年生まで授業料免除が出来た。
有る程度の成績でないと、その制度は受けることができなかった。
理工系の学部を年がら年じゅうう。勉強とスポーツに明け暮れた。
大学時代も、バドミントンを二年生まで続けた。
しかし、卒業するまでは続けることができなかった。
私の家は、裕福と言えず、大学に受かった後も、授業料免除の申請をしなければなかった。
授業の点数がそのまま私が通う大学での点数になるのだ・・・・・・・・。
授業料の免除申請は、勉強のかいあってか?そのまま4年生まで授業料免除が出来た。
有る程度の成績でないと、その制度は受けることができなかった。
理工系の学部を年がら年じゅうう。勉強とスポーツに明け暮れた。
大学時代も、バドミントンを二年生まで続けた。
しかし、卒業するまでは続けることができなかった。
2011年11月01日
浪人時代
浪人時代に突入していた・・・・。
Aと私は、それぞれ、一年目の浪人を経験した。そしてともに、一浪人目にはまったく
大学に受かる点数ではなかった。
そして、浪人時代はひたすら勉強した。バドミントンも少しばかりやっていたが、それでも
浪人時代は、がんがん勉強していった。
一年目の浪人時代には、まったく合格圏内には入ることが出来なかった。
それぞれ、Aと私は、二回目の浪人生活を送ることになる。
浪人時代は暗黒の時代であった。毎日脳味噌に知識を詰め込み詰め込める分
大学に入る事が出来るからだ・・・・・・・・・。
でも、一年目の浪人時代に私は、あまりにも、果てしない勉強量にいやになった。
そこで、塾の帰りに、ダンプカーにそのまま、原付のバイクで突っ込んで言ったら、
楽になるだろうかと考えた時もあった。
夢も見えない浪人生活であった。
しかし、二年目の浪人をしている時は、なんだか?受かるような気がした・・・・・。
そのまま、その通りに大学に受かることが出来た。
理工系の大学に入ることが出来た。
しかし、世の中は不公平であった。高校時代から、勉強していれば、そんなことはなかっただろう・・・・・・。
Aと私は、それぞれ、一年目の浪人を経験した。そしてともに、一浪人目にはまったく
大学に受かる点数ではなかった。
そして、浪人時代はひたすら勉強した。バドミントンも少しばかりやっていたが、それでも
浪人時代は、がんがん勉強していった。
一年目の浪人時代には、まったく合格圏内には入ることが出来なかった。
それぞれ、Aと私は、二回目の浪人生活を送ることになる。
浪人時代は暗黒の時代であった。毎日脳味噌に知識を詰め込み詰め込める分
大学に入る事が出来るからだ・・・・・・・・・。
でも、一年目の浪人時代に私は、あまりにも、果てしない勉強量にいやになった。
そこで、塾の帰りに、ダンプカーにそのまま、原付のバイクで突っ込んで言ったら、
楽になるだろうかと考えた時もあった。
夢も見えない浪人生活であった。
しかし、二年目の浪人をしている時は、なんだか?受かるような気がした・・・・・。
そのまま、その通りに大学に受かることが出来た。
理工系の大学に入ることが出来た。
しかし、世の中は不公平であった。高校時代から、勉強していれば、そんなことはなかっただろう・・・・・・。



